英語の歌詞を書くときのコツ

 

珍しく、このサイト経由でメッセージと質問をもらった。

ちょっと面白いので、わたしなりの返答を、もっと熱くなってここにも書いてみたい。

 

わたしが書いた歌詞をよく読んでくれていた人が、自分のバンドで英詞を書いているそうで、英語で歌詞を書くときのコツを聞いてくれた。

90年代中盤から2000年代初頭にかけて世にリリースされた作品を今振り返ると、間違いはもちろん稚拙な言葉遣いや言い回しがいっぱいある。そんなわたしが偉そうに言うのもなんだけれど、近頃わたしは英語の歌詞の手伝いの機会が多く、「何となくでいいや」ではなくより良くしようと思う人がいるととても嬉しくなるので、盛りあがっている。

いつにも増して長くなるけれど、興味がある人は読んでみて欲しい。

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作詞のコツ、基本的なことTumblr で読む

1.単純上等

2.人の呼称のバリエーション

3.文章のバリエーション

4.作詞のヒント

5.たぶん一番役に立つこと

 

それっぽく聞こえる英語詞にするためにTumblr で読む

6.日本語は高低、英語は強弱?

7.音節の長さ/強弱

8.それなりに聞こえる歌にするために

9.歌う人に合わせる

10.日本語と英語を較べるのは野暮かもしれないけれども

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1.単純上等

その人は、わたしが書くような複雑な歌詞が書けない、単純な文章の羅列になってしまう、と書いてくれた。ところがどっこい、わたしが書くのも基本的に単純な文章の羅列なんどぅえす。だいたいわたしは日本語訳をでっち上げる時に、意味ありげな何かに仕立てることでそのようなイリュージョン=印象を押し付けてきたんだと思う。

まさに、「イリュージョン」を訳しても「印象」という言葉にはならないのに、両方言いたい、でも字数が足りない、とか言いながら代替させてしまう、みたいなやり口で。

だからつまり、わたしは単純な文章で良いと思っている派である。ボブ・ディランなんか難しくない言葉で色々言っているし(色々な)、フランク・ザッパは単純な言葉で可笑しなものについて歌っているし(しばしば意味が分からないから難しい気がするだけかもしれない)、マドンナなんか多分日本の中学生が知っている単語や文法で何十曲も歌いあげると思う。

歌詞の面白いところは、時に簡潔に言う必要があるのに加えて、日本語でも韻文詩とか自由詩なんかと同じだろうけれど、正しい順序で全部を言い切らないことで受け手の感受性に任せて広がり放題、みたいな部分ではないかと思う。

 

例えば、もしも社会人ディベート大会のノリで話すならば

“I don’t know what to think about this, and I’m wondering what you would say”

みたいに長くキメることができるものを

“I don’t know, what would you say?”

と言ってしまえホトトギス、といった感じである。日本語でも

「そのことについて私はどう考えればいいのか分からないけど、あなたなら何と言うか知りたい」

という思いを、限られたメロディにのせて

「私はわからない、あなたはどう?」

などと言うことができる。むしろ、長くなればなるほどそれなりに長いメロディを用意する必要が出てくるし、同時にどこで区切るかもまた大事なビジネスになってくるので、簡単にまとめてしまえホトトギスだ。

思いついた文章から、どこか一部分を削っちゃおうという判断は難しいのでやたらめったらお勧めはしないけれど、複数のSやら三人称のSやら時制やら、学校で習ったことを忠実にチェックしたら、単純な文章で悪いことなど一つもないというのがわたしの意見だ。

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2.人の呼称のバリエーション

とはいっても、最低でも、登場人物の設定はブレないようにしたい。

最近日本語の歌詞をチェックしたりしていても「彼女」のことを歌っていたのにいつのまにか「あなた」に語りかけていたりすることが多いと気がつく。同じ言葉の重複は文章の質の低下に繋がるという思いがそうさせたのかもしれないけれど

「大好きな彼女」と出会ってるんるん、彼女はああしてこうして最高なんだぜイェー

と流れた歌が、

月日が経って僕を置いていった「あなた」よ、お願いだから帰ってきて

という懇願になっていたりする。歌の中で気持ちや態度が変わっても構わないけれど、「彼女」と「あなた」は別人に対する呼称だということは覚えておいたら良いのではないか。それとも、それくらい察しないわたしが古い人間ということか。

もしくは、いつの間にか別人の視点に乗り移って読者を翻弄する魔術の類を使っているのかもしれないとも思うが、わたしは、伝えたいことやストーリーがある歌詞はスパッと伝えたらいいんじゃないかなと思う。

 

日本語の場合は「あなた」「キミ」「お前」などと、相手への呼びかけ方にバリエーションを持たせることで、「オレ」の人格のブレにもなってしまうから気をつけたいところだが、英語なら、代人称(You とか She とか He とか)は何度使っても良いから、下手に変えないようにした方が良いと思う。

 

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3.文章のバリエーション

何度使っても良いとは言っても、同じ言葉の頻出はやはり耳触りが良くないという印象を与える可能性がある。またそれによって、それぞれの文章の組み立てが単調になっていることにも気付くかもしれない。そういう時は視点を持たせる対象を変えてみるといいのではないか。

例えば

「オレ」はああした、「オレ」はこうなった、「オレ」はこう思った

といった「オレ」"I” の文章の連続を

「オレの行動」はこうだった、とか「ソレ」がオレをこう変えた、「この気持ち」が芽生えた

みたいに、主語を別のものにしてみるというやり方だ。というか、これができれば文調の単調さに悩むことはないと思う。

 

「わたしがパンを焦がした」を「パンが焦げた」とパンを主体にして言うことができる。英語も “I burnt the toast” を “The toast got burnt” にできる。

でも日本語で考えると、主語になるのは主に行動を起こした人間と、その犠牲になった対象だ。そこで使用されたツールのせいにするのはぎこちない文章を生み出すことになる(わたしが持っていたハンマーがあいつを打った、みたいに)。でも件の文章では、トースターだってこの事変に一枚噛んでいるんだからこれを主語にしてやろうと思いついたなら。

英語ならなんとかなるものだ。

“The toaster burnt the bread” とか ”The toaster burnt the toast” とか、トーストという言葉が重複しないようにするにしろ、ライムしてフローしてイェーにしろ、トースターの仕業にすることがそれほど違和感なくできる。

普通の会話であれば幼稚な印象を受ける人もいるかもしれないが、歌詞になれば「こうする必要があったんだな」などと思わせることすら可能である。

さらに、トースターと言えばパンをトーストするものと相場が決まっているのだから、そこを省いてもだいたい何のことだかわかるというお徳さもある。“The toaster got a little too excited” (トースターがちょっと興奮しすぎた)とでも言っておけば、それがパンを焦がしたか爆発したかのどちらかの解釈にだいたい収まるだろう。

 

そういう変化を思いつかない日にも、ヒントの詰まった引き出しがあれば安心だ。それには、英語の歌詞をいっぱい読むと良いと思う。英語の本もできるだけ読む。そして面白い表現だと思ったところは頭に留めておくと良い。

上記のような、日本語とは違う(日本語から訳したのでは思いつきにくい)成り立ちの文章を使えば、それだけで詩的に聞こえたりすることも多いものだ。新しい単語を知るきっかけにするだけでなく、歌詞に使えるフレーズや文法のコレクションを増やして、ソコやアソコをちょこちょこと替えていけばいい。

盗作のネタが増えるとかではなく、表現の幅が広がるということだ。

「あなたは美しいです」という言い回ししか知らなかった人が「月が綺麗ですね」という文章と「あんまり煙突が高いので」という歌詞を覚えたとしたら、ある日「あんまり月が綺麗なのであなたも美しく見えます」みたいに歌い出すかもしれない。自分の思考のキャパシティを越えた人格が現れる可能性とも言える。いやどうだろう。まあ例は辻褄が合わないが察して欲しい。

 

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4.作詞のヒント

覚えた言葉やフレーズをせっせと使うことも、作詞の慣れや進め方のバリエーションの増大に役立つと思う。この単語を使いたいからとか、この言い回しを応用した文章を思いついたから、という理由でメロディを変えたり増やしたり、または曲のテーマが見つかるきっかけになったりもする。

それから、曲が先か詞が先かにもよるかもしれないけれど、上のようなやり方が出来る状況だったら、例えばトランペットがパーっと鳴った後で母音が「ア」の単語を続けてさらに広がりを持たせることもできるし、ベースがブゥーンとスライドして落ちると同時に「ウ」の言葉を持ってきてシュッと閉じる雰囲気を助長させたり、ギターのフィードバックがヒーンといっていたら「イ」ではなくてわざと「ア」を重ねることで音の厚みや雰囲気が変わることもある。

日本語でも同じだと思うけれど、限られた(知っている)単語から探すにも、または辞書をめくって見つけるにも、そういった制限や条件を加えることで、手の内から出てくる「いつものやつ」から一歩踏み出す手助けになると思う。

 

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5.たぶん一番役に立つこと

それから最後に、わたしが思う一番大切で、役に立つこと。作品をリリースすることになったら、特に。

自分の好きな(英語で歌詞を書こうと思うきっかけになった)音楽が生まれた国の英語を話す人にチェックしてもらうこと。

知り合いがいなくとも、インターネットで海外のホンモノにも簡単にアウトソーシングできる時代である。ちょっと一手間かけて何が悪い。

日本語から英語に訳して、原文の作風を忠実に再現しているかを見てもらうには、日本語をとてもよく知っている人が役に立つかもしれない。けれども、英語のクオリティを高めたいという今回のような場合には、「英語を勉強した人」の限界は気になるところである。

そもそも英語を流暢に話す日本人が、英語の歌詞をじっくり読んだことがあるとは限らない。それよりも、英語で育てられた人が英語の歌を100曲歌える確率のほうが高いだろう、という意味だ。先に述べたような、歌詞特有のやり口があることを考えると特に、医療翻訳と法律翻訳とが別のジャンルであるのと同じくらい、歌詞だってそれなりに専門性があると思うのだ。それなりに。

だから、「ちょっと意味がわからないけど逆にいい」みたいな、アートとしての表現(なにそれ)が考慮されるなら、それに越したことはない気がする。

 

日本語のチェックを依頼する場合を考えてみる。

自分のことを「わたし」というのが正しいと学習してきた人からはオッケーが出た「美しい日本語の歌詞」が、日本語で生きてきた人からはもしかしたら、あなたのキャラクターや曲調からいって「僕」っていう方が合うと思うのよね、みたいな意見が出て来るかもしれない。そういう可能性だ。

それから、こだわりを持って日本語で書いたものの英訳の場合。

わたしはいくばくかの年月、翻訳に携わってきて、違う文化を別の言葉で完璧に表現するのは無理だと考えるようになった。例えば、燻製のサバにバーベキューソースをかけたらいいんじゃないかと思う人に、大根おろしをちょっと添えるだけの味わいを説得するのが無理なように。だから、日本語で書いたものの良さをそのまま忠実に表現することにやっきになるよりも、英語になったら別の雰囲気になったけど何かしらの味わいが出ている(らしい)、という効果を受け入れる方が、歌詞として面白い、と思うのだ。というのはわたし個人の見解であるけれども。

 

これは、歌詞の英訳を商売のメニューに入れている日本人のわたしが言うのに矛盾がある話だ。わたしがこれを書いたのは、そしてそのことを依頼してくださいと売っているのは、やってみたけど大丈夫かな、というクオリティの確認作業が浸透するきっかけになればいいと思うからである。

街を歩いていて聞こえてくる路上パフォーマンスに、「まずはチューニングを…」と言って音叉を買う小銭を渡したくなる時がある。それぞれの段階があると思うけれど、英語の部分(日本語の部分だってそうだ!)がおかしくないかな、とチェックするステージを、チューニングと同じくらい、誰もが取り入れる時代が来ると良いなと考えている。 

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英語の歌詞を書く時のコツ2

 

もう既に「一番大切なこと」だなどと大げさに書いてしまったので、これ以上書き足すことがないと美しいとは思うのだけれど。すっかり忘れていた。計画性もなく、推敲に時間も掛けずに仕上げた気になるとこの有様である。

恥ずかしげもなく、いくつか補足していこう。

 


6.日本語は高低、英語は強弱?

文章として、または歌詞として成り立つ英語のポイントと、音として音楽の中で活かすことについては前回いくつか述べた。

さらに。せっかくメロディと合わせるのだから、それを使ってうまい具合に自然に聞こえる英語にするコツみたいなものがあると思っている。

 

言葉に抑揚をつけるとき、日本語は音程が大事だという話をよく耳にする。日本語は、例えば「箸」と「橋」で言うと、前者は「は」が、後者は「し」が、もう1つの音よりも高く発音されるというようなことだ。

一方で、英語は強弱に注意すると良いという話も良く聞く。正しい発音を説明する時に、「どこに “アクセント” を置くか」という場合、「アクセント」よりも「ストレス(強調するとか、圧力を加えるとかという意味)」という言葉がよく使われるせいもあるかもしれない(高等な教育現場ではどうか分からないけれど)。

例はない。

わたしは英語、日本語どちらも、音程で考えている。長年、ビートよりもピッチに興味をそそられる人生だったことも理由の一つかもしれないが、どの単語のどこの音節にも、音の高さが割り当てられると思うからだ。

Today

と言う時、デがトゥやイよりも高く発音される。我々がよく知っている「旨い」とよく似た音程のやつだ。発音記号で表すと

təˈdeɪ

となり、デにアクセントがつくことになっている。(アクセント記号「’」は日本では強調される部分の母音 -e- の上に置かれるけれど、イギリスではその部分 -de- の前に書かれる)

けれども、これを全部同じ音程で発音したら、たとえ「デ」の部分を拳を突き上げながら強く言ったとしても、耳慣れたあの有名な「トゥデイ」にはならない。ほら、いつものアレは、トゥよりもデが高くて、イでまた戻ってるからよ。

 

フレンドリー過ぎるイギリス人に日本語で話しかけられるところを想像して欲しい。「コチワ」と、「ニ」が異常に盛りあがっていないだろうか(渡嘉敷、という時に似た音程)。強調する場所を間違っている、ということよりも、そんなにエモーション込めなくていいのに、と言いたくなる。発音を正してくれと言われようものならよろこんで、そのドラマチックな抑揚は不要だから、まずはもっと落ち着きたまえと宥める。

全部同じ音程で、もしくは「コ」だけ少しだけ下げて(わたしは東京出身である)、あとは平坦に、できるだけ平静を装って、「コ」と「ン」と「ニ」と「チ」と「ワ」にできるだけ平等の時間を割いてみろと言ってみる。ミュージシャンには五線譜に書いて説明したこともあるけれど、音程という概念に理解がない人は大抵、同じピッチを保つことに苦労する。

わたしの中では、英語が母国語の人は、言葉をメロディアスなフレーズにのせたがる人たちだ。

日本語の特性から日本人が不得手に感じることと同じように、「外国人には難しい」日本語の要素もたくさんある。でもそれを認識しても我々が苦手なことが克服されるわけではないから、「英語だって音程」説を信じてもらえたと仮定して話を進める。

 

英語の歌詞を書く場合、それぞれの単語の高くなる部分が他よりも高くなるメロディを当てはめると、自然に聞こえると思う(もしくは、高くなる場所で、そこにうまいことアクセントがくる単語をはめ込む)。少なくとも、それの直近の音節が、アクセントの部分よりも高い場所で発音されることがないようにすればいい。

つまり、「たご」と言うのに「のこ」と同じく最初を高くしてしまったり、「はだか」というのと同じように一文字目だけは低くして後は全部高くしてしまった時のようなぎこちなさを避けることができる。

そうはいっても、日本語でも、東京のわたしが「ゆげ」と言っても西の誰かが「まげ」と言っても互いに理解できるように、必ず話す時と同じ抑揚をつけなければいけないというわけではない。ただ、発音も不完全なガイジンの我々が英語で歌詞を書く時には、間違いなく通じるイントネーションになるように音符を配置すれば安全だろう、という意味だ。

そう考えると、「高低が大事」と言われる日本語が地方によってイントネーションが変わるのと違って、英語ではひとつの国内では、アクセントの位置が変わることはない(と思う)。だからこそ、基本の場所をおさえてみて損はしないだろう。

 

話は逸れるけれど、子供の頃に「七つの子」(カラスなぜ泣くの、という歌)は、自然なイントネーションを活かしたメロディだと教えられたことがある。「(カラスは)山に」の部分はどうかと思うが、思い出す度にだいたい感動する。

音楽の「何とかなる具合」はここにも当てはまる。「やまに」と耳にして「マニ」って何、と考える間もなく、次のフレーズを聞かざるを得ないから、結果的に話は理解する。まあ、伝わってくるのだ。だから言ってみれば、そう堅苦しく考えなくてもいいかなとも思う。

英語に戻ると、例えば Smashing Pumpkins の有名な “Today” という曲は、トゥが高みから始まってディに降りてくる。さっきから何行も使って説明した「デ」が高ければ間違いない、という「いつものトゥデイ」の話を完全に砕かれた。でも、伝わるからいいじゃないか。

全部が全部、ちょっとおかしなイントネーションだと赤ペン先生腕まくりだが、たまに出てくるとか、タイトルやキーワードだけ、といって使い方であれば、ユニークという評価になるかもしれない。そう「使い方」、駆使したスキルにしてしまえば悪いことなんてない。

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7.音節の長さ/強弱

先程「こんにちはの全ての文字に平等に時間を割く」というようなことを書いたが、英語では、アクセントを置く場所は音程だけでなく、そこで費やす時間も長めになると言えると思う。もしかしたら、その前後が軽視されるという方が正確かもしれない。

外国人であるわたしが今思いつかない例外もいっぱいあるだろうから、例を挙げるリスクは負いたくないが、日本の学校では発音記号の読み方を教えてくれるし、辞書にはだいたい発音記号も書いてあるから、伸ばす音(”ː” みたいなやつ)などはいちいち参考にすれば良いと思う。(イギリスの学校では英語の時間に別にわざわざ発音記号を解読したりしないので、あれを見ても何のことだかわからない人が多い模様)

 

というわけで逆に、英語ではアクセントを置かない場所のおざなり感が大事、という話にしようと思う。

日本語では理論上どの子音にも母音がついて、だいたい平等に強さを与えるのと比較すると、ああなるほど、ここで「英語は強弱」という話になるのだろう、英語では弱々しく発音する場所がある。ほとんど必ずと言えるかもしれない。

英語の発音をカタカナで書いてみた時によく分かる。

House

ウス」を、口を「う」の字にして「ウス」の部分をハと同じ強さでしっかり言ってしまうわけにはいかない。特に最後の「ス」はいけない。「ス」だと思って “su” とするのではなくて "s” のノイズ音だけ出すと言って伝わるだろうか。おざなりにすればするほど、より自然に聞こえる。

そして逆に、それをわざと強調して、その不自然さを特徴として活かすこともできる。LCD Soundsystem の “Daft Punk Is Playing At My House” を、歌詞を見ながら聞いてみて欲しい。 

歌っているのは英語がペラペラのアメリカ人だけれど、“house” とか “ropes” とか “garage” とか、語尾の “s” や “ge” をわざと強調しているのが分かるだろうか。

わたしはこれは、英語の発音としての面白さとは別に、散らしたビートの隙間にさらに気を引くポイントを分散させたような、興味深い効果を生み出していると思う。

だからつまり音楽であれば、わざとしました、これは技ですと言えばそれそれもアリじゃないかな、ということだ。はっはっは。

 

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8.それなりに聞こえる歌にするために

多くの人が、発音について気にすると思う。

日本人は “L” と “R” の区別がつけられないとばかり繰り返したり、あの人の英語の発音は酷いから英語を話す権利がない、くらいの理不尽な批評をしたがる人がいる。そういうのは大抵、自分があまり上手くないからちょっと何か言えている風のあの人も引きずり下ろしてやれというコンプレックスが招く地団駄だから無視すれば良いと思っている。

それでも、身につければだいぶ楽になると思ういくつかのポイントがある。

“th”(歯と歯の間に舌を挟んだス、イギリス南部なら “f” といっておけば何とかなる)と “s”

“シー”(she みたいなやつ、”h” が入る)と “スィー”(see みたいなやつ)

は、間違えると伝わらなくなってしまう(何を言っているのか想像もできない)可能性があるので、気をつけられたら最高だと思う。

そもそも、英語をカタカナにして覚えたから起こる話だと思う。だからこれから知らない単語にであったら、カタカナに変換せずに、インターネットで発音の音声を探して、それだけを記憶するようにするのが良いのではないか。

 

“L” と “R” を混同するのは、世界的に有名だからこの際そんなに気にしなくていいんじゃないかとさえ思う。“L” と “R” をごっちゃにして困ることと言えば “lice”(シラミ louse の複数形)と “rice” (米)が有名だけれど、アジア人の多くが二つの発音をごっちゃにしてしまうこと自体が余りに有名すぎて、英語が母国語の人がそんなことを指摘するのはむしろ野暮だ。

そしてそれを、外国人である我々が得意気に非難するなんて、お前が恥ずかしいわ、という感じである。(得意気に)

もちろんうまいこと言えるに越したことはないけれど。

 

わたしは人に英詞を書く時には、歌う人のやりやすい発音を考慮するようにしている。聞いたものをコピーして発音するのが苦手そうな人や、レコーディングに立ち会えない場合などは、トラブルになりそうな(得意気に「発音悪い」と指摘する人が湧いてきそうな)言葉はなるべく避けたり、おおきく振りかぶって発声する場所には持ってこないようにしたりする。

前回は詞のクオリティに対してだったけれど、この場合も、発音大丈夫かな、と人に確認してもらうことも、作詞の完成にとても役に立つと思う。指摘するのは野暮だと言いつつ得意気に言うが、たぶん “L” と “R” を気にしすぎて、英語の歌全編で二つを全て丁寧に逆に発音している曲を聞いたことがある。何度かある。だからもう気にしないこと(むやみに ”R” の発音をねじ込もうとしないこと)、気にするならせめてタイトルや何度も繰り返す部分だけでも、二つを取り違えていないか誰かに確かめてもらう、という方法を提案したい。

 

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9.歌う人に合わせる

歌う人の英語の技量だけでなく、個性を考慮することで、歌がより活きる歌詞になったり、あわよくば作詞を進めるヒントになったりもすると思う。

例えば、レンジによって声質が変わることがある。声質とまでは言わずとも、耳に与える響きの印象が変わるというか。それを活かした言葉選び、例えば柔らかい響きになる辺りに柔らかい耳触りの言葉をもってきたり、華やかな声になるところにはパンチのある言葉を並べたり、という操作もできる。

わたしの意見だが、 “g” や “b” で始まる単語よりも、”w” とか 母音で始まる単語の方が柔らかく聞こえるし、前者のような強い響きの言葉がメロディの最初にくると、途中で顔を出す時よりもその響きが印象強くなると思う。

また表現力とは別の話で、出せる音程の範囲内でも(限界を追求せずとも)、この音程でこれを発音するのは難しい、というようなことがある。何だか篭った声になるとか、音程が不安定になってしまう、といった微妙な問題になる。

それが不思議なもので、その部分の高さを少し変えるとか言葉を変えるだけで、格段に気持ち良い声になったり、どんぴしゃで出せるようになる、ということがあるものだ。自分が歌うのであればやってみながら、他の人に提供するのであれば歌っているのを聞きながら、だんだん分かってくると思う。

 

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10.英語と日本語を較べるのは野暮かもしれないけれども

なんの根拠もないが、日本語を話す時は喉の絞りをコントロールしていて、英語ではもう少し開放している、という印象がある。日本語を話している時は甲高い声の外国人が、英語を話すとなかなか低い声(喉を緩めて発声する)を出すことに気づいたり、いつもは落ち着いた声の外国人に日本語を教えると、テンション高めのアッパーな人みたいになってしまう、ということがよくある気がするのだ。

わたしは特にちゃんとした研究もせずに「言語によって発声が変わる」説を言い張ってきたのだが、その仮説が英語の歌を伝える現場で役に立つわけでもないので、その考えを活かして歌詞を書く努力をした方が、わたしの現世では建設的だろうなと思う。

 

普段話していない英語で歌をうたうというのは、音程だの表現だの発音だの、気をつけることがありすぎてとても大変だろうなと歌手の皆さんをみていて思う。わたしだったら、歌をレコーディングしていて、わたしみたいな得意げな誰かにブースの外から「その発音はもうちょっとこうして…」などと言われたら、もうねそこまで気が回りません、と諦めるに違いない。

だからこそ、せっかく英語で歌おうと思った心意気を押さえつけないように、できるだけ発音しやすい言葉選びを心がけると良いと思っている。

 

発音のコツのリストみたいなのもある程度できあがってはいるけれど、今回は作詞についてだったのでもう終わりにしよう。みんな、とりあえず英語の歌をいっぱい聞いてみるといいよ。